荒井 広宙

H i r o o k i  A r a i

世界陸上2017 男子50km競歩

リオより輝きを増した夏。
銀メダルの感動を、ありがとう!

五輪メダリストとなり、
再びこの舞台に還ってきた

スタートの瞬間を待つ荒井広宙選手は、時折笑顔を見せた。その表情にテレビの前で応援する国民は、少し安堵したことだろう。昨年のリオデジャネイロ五輪では、途中接触のアクシデントに見舞われるなど様々なドラマを巻き起こしながらも、日本競歩界としては初となる悲願の銅メダルをもぎ取った。一躍時の人となり脚光を浴びる反面「メダリスト」としてのプレッシャーも相当なものではないかと想像するからだ。しかし荒井選手はそれを一蹴する。「むしろこの日を楽しみにしていました」と笑顔の強気だ。「とはいえ注目度や期待値も前とは違いますので、当然プレッシャーがないといったら嘘になります。でもそうではなく“周囲からの”というより『この試合で本当の力が試される』と自分に課したプレッシャーでした。挑戦者のような気持ちで、モチベーションを高められるプレッシャーだったと思います」と振り返る。リオの歓喜の瞬間から世界陸上まで、トレーニング内容を大きく変えたことはなかったという。その逆で、結果を残せたリオのやり方が本当に正しかったのかを、もう一度確認したいと思っていた。「多少改善したといえば『質』にこだわったことですかね。トレーニングの質はもちろん、食事の質、睡眠の質、すべての行動を丁寧に見直しました」。リオの手応えを実感値として噛みしめるべく、荒井選手はメダリストとなり2年ぶりにこの世界陸上の舞台に立った。

2人で仕掛けた35キロ地点。
やがて勝算を確信していく

リオ五輪での歩きで、少し「メダルの獲り方」が掴めたような気がした。それは荒井選手の心に、僅かながらのゆとりをもたらした。横を見ると、世界大会初出場となる小林快選手の顔。途中、焦りの色を見せる場面もあったと言う。「協力していこう」─荒井選手はそう声をかけると、給水を手渡してやることもあった。集団から抜け出したのは35キロ地点。荒井選手が動いた。後に小林選手は記者にこう語っている。「荒井さんが何度も声をかけてくれて、2人でメダルを取るぞとペースをつくってくれました」。レース中の様子を荒井選手に訊ねると「競歩の日本代表チームは年間に何度も合同合宿を行っているので仲がいいんです。この大会は出場した3人全員で戦おうと気合いも十分でした」。その内のひとり、小林選手の足音が背後にしっかりと聞こえる。ゴールを目の前にすると荒井選手はサングラスをはずし、笑顔で拳を空へ突き立てた。そしてすぐに振り返る。2秒遅れでゴールしてきた小林選手の姿を確認すると、抱きかかえて賞賛。「『よくやったな、大したもんだよ』と声をかけました」と荒井選手。記録は荒井選手が3時間41分17秒、小林選手は3時間41分19秒だ。しかもさらに喜ばしいのは、もう一人の日本人選手、丸尾知司選手が3時間43分3秒で5位入賞を果たしたこと。強いニッポンの競歩を知らしめた、最高の瞬間となった。

2018年は進化の年にする。
筋トレを取り入れ挑戦

世界陸上は2年に1度、オリンピックは4年に1度開催される。よってここ3年連続で世界大会が続いた。その度に荒井選手は順位を上げ2位のところまで辿り着く。2018年はある意味“小休止”。その後2019年の世界陸上、2020年の東京五輪を控える。来年の目標を訊く。「実はこれまでのトレーニングを大きく見直そうとしています。歩き中心だった練習から、走りやエアロバイクも取り入れ始めていますし、筋力トレーニングを重視してハムストリングを鍛えるつもりです。この方法が果たして成功するのかどうか、来年はさまざまな大会に出ることで自分の完成度を試していきたいと思っています」。つまり2018年は進化の年として徹底した挑戦を決めているようだ。目指すは最高に輝く色、金メダル。2020年、東京オリンピックのセンターポールには、必ず日の丸がはためく。

荒井 広宙

自分自身、埼玉の陸上競技界の人間として結果を残すということは一番大事なことだとは思いますが、下の世代にどういう風に伝え、高い目標を持ってもらえる選手を作っていけるかを考えています。また、自分が経験してきたことを活かし、よりよい環境を整備していくことや、可能性を広げてあげる役割も担っていけたらと思っています。僕も多くの人に支えられ、メダリストとして今日があります。それを下の世代にも還元してあげたいですね。

所属:自衛隊体育学校

生年月日:1988年5月18日

自己ベスト:

[競歩50km]3時間40分20秒